おめでとう!

ピティナ全国大会受賞パーティーにて

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だいぶ時間が経ったシリーズ第何弾でしょうか・・
ごめんなさい。

昨年のピティナ・ピアノコンペティションにおいて、私の生徒さんの
菜々ちゃん(8歳)が全国大会で銅賞を頂きました。

彼女が4歳になった時、「ピアノを教えてください。」と、ちょこんとお辞儀をして
言いに来た日の事を昨日のように思い出します。

レッスンで「この音を、こうしてみて」と私の言った事に対しても、「何か楽しそうだぞ」と、わくわく感じるような、彼女の明るく好奇心旺盛な性格が、才能を伸ばし、想像を絶する練習量にも耐えて、予選から数えて応募者一万人の中から勝ち抜くことが出来たのだと思います。

とっても良く頑張りました本当におめでとう。
これからも磨きをかけて、素敵なピアニストになってね。

小さい子にとって、「コンクールを受ける」事は結果が全てでは決してなく、そこに向かって努力する、何かを成し遂げるために何かを犠牲にしなきゃいけない事を学ぶ、でも必ず、
「上達」と言うご褒美が待っている事を知る、良い機会だと私は思っています。

そして、コンクールだろうがどこだろうが、「ピアノを弾ける場が一回でも多い事が幸せ」。と感じられようになるだけでも、大きな意味があると思うのです。

全然変わってない・・。

久しぶりに桐朋の中の、レッスン室ではなく普通の教室の中に入ってきました

グランドピアノが無造作に置いてある大きな部屋で、音楽史とか
社会とか普通の科目の講義を受けたり、そこで同級生のヴァイオリンの試験の伴奏もしたなぁ・・。

全く変わってないその教室の扉、壁を見た途端、(率直に言うと、ふ・る・いのです)
同級生や先生の事を思い出し、タイムマシーンに乗って授業中にいるような
錯覚に陥りました。

社会史だったか、何の授業だったか忘れましたが、授業の時、先生が
「小澤征爾さん(桐朋の第一期生)は授業中は全くノートを取らなかったけど、一番前に座って、興味のある話題になるとバンバン質問をしてきた。」と、ボーっと授業を聞いているか、カリカリとノートだけ取っている私たち学生に話してくださったことがあります。

そこからノートを取るのをやめてみたけど、なかなか難しいので
真似できませんでした。人には人のやり方が・・・。
と言うか、偉人の真似を外側からしてはいけないのです

それから、今日は音楽教室のある先生に○○年ぶりに
お会いし、お声をかけていただきました。
(お話したのは初めてだったのですが、試験の時にはいつも審査員で
いらっしゃったのは憶えています。)
まだ小さかった私の事を憶えていてくださって本当にびっくり感激しました

う~ん、記憶力のすごい人って素晴らしい。
よく言いますものね。他人から奪われないものは「記憶」だ。って・・・・

時の流れ

私には親より厳しい先生が日本にいる。
12歳の時からついた林先生。
当時の桐朋のピアノ科の主任教授で、とにかく震えるくらい威厳があって、
父に怒られるよりも、怖かったのを思い出します。

中学生の頃から毎週日曜日には母と一緒に、レッスンに先生のご自宅に通うのだけれど、その車の中で「生あくび」が止まらなかった。(緊張するとあくびがでちゃうのです、私。)
レッスンが終わって母と無言で帰る車の中・・・。

その後、高校、大学とずっとご指導いただきましたが、その緊張感は大学4年の最後のレッスンまで変わらなかったです。
今はそういう威厳のある先生が少なくなってしまったとよく聞きます。

留学から帰ってきて、先生とお会いするのは本当に数回だったのですが、
昨年秋、先生の古希のお祝いをしてから、先生ととてもよくお話しする機会があるので、嬉しく思っています。

先日、久しぶりにご自宅にお伺いすることになり、
当時と変わらないピアノ、お宅の雰囲気がそこにあり、懐かしさで胸が一杯に。

ついこの前までレッスンを受けていたのに、時の流れは本当に速いですね。

今回、私事である事が決まったのですが、それを
林先生は非常にお喜びくださいました。私にしてみれば、
決まったことよりも、先生が喜んでくださったことの方が嬉しいくらいでした。

いつまでもある意味、親でいてくださる優しさに改めて感謝です。

フルートと

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2人で全然違う方を向いちゃってますが、他にあまりいい写真がなかったもので・・。

2007年1/14に武蔵小金井の宮地楽器小金井ホールで、フルートの飯島幸子さんとのコンサートがありました。

100名位の小さなホールですが、おかげさまでチケットも完売御礼となり、地元と言うことで、アットホームな雰囲気の中、楽しくさせていただきました。

ご来場いただいた皆様、お忙しい中本当にどうもありがとうございました。
またチケットをご用意できなかった皆様に、心よりお詫び申し上げます。

私はモーツァルトの「フルートとハープのためのコンチェルト」の2mov.がこの上なく好きで、中学の頃初めて聴いたときは、何故か涙が止まらなくて(涙腺はかなり弱いほうです)それ以来フルートの音色も大好きなのですが、実際共演したのは、初めてで嬉しかった・・!

プログラムは、私たち2人ともが「パリの日本人」()と言うコンセプトで
構成し、フランス人作曲家と日本人作曲家の作品のみを演奏しました。

飯島さんとは、それ以来とても仲良しで、
また数ヶ月中にコンサートでご一緒する予定です

音楽を通じて、素敵な出会いがあって、そういうのが本当に楽しみでもあります。

しみじみ

リグット先生の公開レッスンを2日間連続で聴いて来ました。

長時間のレッスンの中で私の青春時代だったリグット先生とのレッスンを
思い出していました。

彼は生徒がレッスンを録音をするのが嫌いな先生だったけど、言葉の問題もあって、
レッスンを録音させてもらっていた時は、家に帰っては何回も聴きなおして一言も逃さないように、楽譜に書き留めていました。その楽譜も大切な宝物です。

録音できなかった時は、先生のお宅のそばのカフェですぐさま楽譜やメモ帳に書き込みをしてから帰宅しました。

「機械に頼るな、自分の心に録音しなさい、そのほうが強く残るから」と
おっしゃって、それから一言一言、生の体に刻み込むようにして憶えていました。

彼の弾き方を少しでも真似すると「俺の弾き方を真似するな、真似したって意味ない、
毎日違うアイディアが浮かぶんだ」とおっしゃいました。
これでなければいけない、という考え方がいかに狭い事であること、楽曲一つにしても、また「今日の演奏」という事だけでも、イマジネーションの無限の可能性がなければならないと言うこと学びました。
そんな青春時代をすごせて本当に幸せだったと、改めて思い返す機会になりました。

先生はお忙しいスケジュールを終了し、パリにお帰りになりました。

再会

パリ留学時代の恩師、ブルーノリグット先生が公開レッスンや、コンサートの為に来日していらっしゃるので、会いに行きました。私が帰国してからも何回か来日されていて、お会いするのは2年ぶりくらいですが、私がレッスン会場に入ったら、ビックリして喜んでくださいました。
リグット先生と

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久しぶりに彼のレッスンを目の当たりにして、何故か譜めくりまでお手伝いをして、
改めて先生の演奏、音楽解釈の魅力に感激しました。

留学中、パリの先生のお宅のレッスン室にあったカワイのグランドから、それまで聞いた事のない優しくて、音一粒一粒が語りかけて来るような、先生のチャーミングな音色を耳にし、

「いつかこんな音が出せますように。」と祈るような気持ちで毎日12時間以上練習し続けたら
どこかから彼に伝わって(おそらく、最初は音楽寮生活だったからだと思います・・。)
「お前は練習しすぎだ。」と怒られたことがありました。

「生徒の練習時間が少なくて怒ったことはあるけど、多くて注意したのは初めてだよ。」
と・・・。後はイマジネーションの世界だから。それを壊すほどの練習はしちゃいけないんだと
教わりました。

また、約束より早くレッスン室に到着してしまい、時間待ちのため、先生が練習しているのを外で聴いてたら、それがベートーヴェンの1番のソナタで、「この曲ってこんなに素敵な曲だったっけ??」
と、感激した事も覚えてます。(彼が練習していると道に何人か人だかりが出来るのも日常の出来事でした。)

要するに、それまで私が日本で聴いてきた音楽や、音色とは全然違う、
ファンタジー、ポエジーの世界でした。
パリで、精一杯吸収してきたつもりです。

先生の音色がますます魅力的になっていくのを聴いて、また
刺激を受けた一日でした。

あっという間に

昨年の2006年12/1に津田ホールで、初めてクインテットを経験させてもらいました。
ドイツのワイマールゲーテ四重奏団との共演でした。

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曲は大好きな大好きなフランクのピアノ5重奏曲。
フランス留学時代の恩師ブルーノリグット先生が、ニースの夏期講習会の最終日のコンサートで、他の弦楽器の先生たちと組んで、この曲を演奏なさることになり、その譜めくりをしたのがきっかけで
「なんて素敵なんだ」自分の中での名曲ベスト10に入ってしまったのです。

いつか絶対弾いてみたいと心に誓っていたのですが、
その日が本番2ヶ月まえに突然来るとは!急遽決まったのですが、
フランクとなれば、俄然やる気!

あぁ本当に忙しかったです・・。

早いもので、あれからもう4ヶ月が経とうとは・・。
「その日のうちにブログに感動を書けたらよいのに」と思いつつ、
あわただしく過ぎていたので、今頃になって日記も何も無いのですが
忘れないうちに、書かなきゃ。

合わせは、何せドイツ語の皆さんなので、通じているのだろうか・・。と不安。でも意外と何とかなるもんで。
私はフランス語で向こうはドイツ語で眉間にシワ寄せてクビを横に振ったり、頷いたり。「いやいやその表現はどうも好きじゃない」と
言わなきゃ大変。留学してて良かった。
だって、言い負かされることばかりだったので、前よりは自然と強くなりました。

こんな風に1,2回の合わせで40分級の大曲をまとめるのは
、本当に大変なんだなぁ。と勉強しました。
・・・とか悠長なことを言っている場合ではなくいきなり本番なので
後は、いかに自分の世界を出していけるか。でも5人で作っていくので
その駆け引きを楽しみながら長年の夢だった、フランクのクインテットを
弾くことが出来、幸せでした。聴きにいらしてくださった皆様本当にどうもありがとうございました。

それから大変長い間ご無沙汰していた、中学1年の時の担任の先生にも聴きにいらしていただけて、うれし涙

千の風になって

千の風になって

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先週土曜日の3月31日、文京シビックホールで歌手の本岩孝之さんとのコンサートがありました。
バス、バリトン、テノール、なんとカウンターテナーまで(私より確実に高い声)
お一人でこなす、稀有な存在の歌手です。

曲もモーツァルトから始まって、
バロックあり、新作あり、タイトル曲あり、日本歌曲あり・・。バラエティーに富んだプログラムでしたので
合わせも何十時間したかなぁ。よく研究して作りあげた自信作たちでした。
関係ないが、シューベルトの「魔王」もあったので、腕立て伏せして鍛えてました。
(オクターブ、和音連打が大変なのです)

終わった後、お客様から「実物は小さいんですね~!」と言われました。
まぁ、そうですか・・・・。(T_T)

ホールがほぼ満席でしたが、ピアノも気持ちよく響き、とてもハッピーな気持ちでした。
ゲストフルーティストの今井理栄子さんとの曲もあり、
コンサートは大成功でした

写真は桜の季節だったので桜色のドレスを着て(あまり見えてない?)
終演後、本岩さんと。

はじめまして!

ずっとずっと始めたいと思っていたブログ。
少し時間が出来たので、やっとトライ出来ました

きっかけは、フランス留学時代、半分眠りながらも、ほぼ毎晩枕元で書き続けた日記達。
ミミズみたいな字で書いてあって、翌朝自分で笑っちゃった事もありました・・。
(書き終わりの方は自分でも読めなかったり)

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でもでも!今読み返すと、忘れていることも多くて、書いておいて良かったなぁ。
とつくづく思います。分厚い日記帳が何冊もあって、大事な宝物です。
どこへ行ったとか、誰と会ったとか、結構忘れていることもあったりして
「??そうだったっけ?全然記憶にない・・。」
自分でもあきれちゃいます。

それとは別に「ピアノ練習管理帳」みたいなのもつけていて、
以前は結構筆まめだったのかしら(今はかなりの筆不精)と思います。
人間変わるのですねぇ。

後は両親とのやりとりの手紙&ファックスがダンボール一杯。
ファックスは文字が消えちゃって悲しい(T_T)けど、6年分なので、とにかくすごい量!

留学中は辛いときもあったけど、それを泣きながら読んで頑張った、思い出の手紙たち。

やっぱり文字にするのはいいですよね。
コンサートの事や、忘れちゃいたくない事があったら、また書いていこうと思います。

どうぞよろしくです