先日アップした写真の右側部分です。
柱より向こうがその部分。
まだカーテンがついていないので全体が写せないのですが、
こんな感じに大工さんに仕上げてもらいました
広くなった分、音がよく響くようになり、気持ちよいです。
ピティナ全国大会受賞パーティーにて
だいぶ時間が経ったシリーズ第何弾でしょうか・・
ごめんなさい。
昨年のピティナ・ピアノコンペティションにおいて、私の生徒さんの
菜々ちゃん(8歳)が全国大会で銅賞を頂きました。
彼女が4歳になった時、「ピアノを教えてください。」と、ちょこんとお辞儀をして
言いに来た日の事を昨日のように思い出します。
レッスンで「この音を、こうしてみて」と私の言った事に対しても、「何か楽しそうだぞ
」と、わくわく感じるような、彼女の明るく好奇心旺盛な性格が、才能を伸ばし、想像を絶する練習量にも耐えて、予選から数えて応募者一万人の中から勝ち抜くことが出来たのだと思います。
とっても良く頑張りました
本当におめでとう。
これからも磨きをかけて、素敵なピアニストになってね。
小さい子にとって、「コンクールを受ける」事は結果が全てでは決してなく、そこに向かって努力する、何かを成し遂げるために何かを犠牲にしなきゃいけない事を学ぶ、でも必ず、
「上達」と言うご褒美が待っている事を知る、良い機会だと私は思っています。
そして、コンクールだろうがどこだろうが、「ピアノを弾ける場が一回でも多い事が幸せ」。と感じられようになるだけでも、大きな意味があると思うのです。
私には親より厳しい
先生が日本にいる。
12歳の時からついた林先生。
当時の桐朋のピアノ科の主任教授で、とにかく震えるくらい威厳があって、
父に怒られるよりも、怖かったのを思い出します。
中学生の頃から毎週日曜日には母と一緒に、レッスンに先生のご自宅に通うのだけれど、その車の中で「生あくび」が止まらなかった。(緊張するとあくびがでちゃうのです、私。)
レッスンが終わって母と無言で帰る車の中・・・。
その後、高校、大学とずっとご指導いただきましたが、その緊張感は大学4年の最後のレッスンまで変わらなかったです。
今はそういう威厳のある先生が少なくなってしまったとよく聞きます。
留学から帰ってきて、先生とお会いするのは本当に数回だったのですが、
昨年秋、先生の古希のお祝いをしてから、先生ととてもよくお話しする機会があるので、嬉しく思っています。
先日、久しぶりにご自宅にお伺いすることになり、
当時と変わらないピアノ、お宅の雰囲気がそこにあり、懐かしさで胸が一杯に。
ついこの前までレッスンを受けていたのに、時の流れは本当に速いですね。
今回、私事である事が決まったのですが、それを
林先生は非常にお喜びくださいました。私にしてみれば、
決まったことよりも、先生が喜んでくださったことの方が嬉しいくらいでした。
いつまでもある意味、親でいてくださる優しさに改めて感謝です。
パリ留学時代の恩師、ブルーノリグット先生が公開レッスンや、コンサートの為に来日していらっしゃるので、会いに行きました。私が帰国してからも何回か来日されていて、お会いするのは2年ぶりくらいですが、私がレッスン会場に入ったら、ビックリして喜んでくださいました。
リグット先生と
久しぶりに彼のレッスンを目の当たりにして、何故か譜めくりまでお手伝いをして、
改めて先生の演奏、音楽解釈の魅力に感激しました。
留学中、パリの先生のお宅のレッスン室にあったカワイのグランドから、それまで聞いた事のない優しくて、音一粒一粒が語りかけて来るような、先生のチャーミングな音色を耳にし、
「いつかこんな音が出せますように。」と祈るような気持ちで毎日12時間以上練習し続けたら
どこかから彼に伝わって(おそらく、最初は音楽寮生活だったからだと思います・・。)
「お前は練習しすぎだ。」と怒られたことがありました。
「生徒の練習時間が少なくて怒ったことはあるけど、多くて注意したのは初めてだよ。」
と・・・。後はイマジネーションの世界だから。それを壊すほどの練習はしちゃいけないんだと
教わりました。
また、約束より早くレッスン室に到着してしまい、時間待ちのため、先生が練習しているのを外で聴いてたら、それがベートーヴェンの1番のソナタで、「この曲ってこんなに素敵な曲だったっけ??」
と、感激した事も覚えてます。(彼が練習していると道に何人か人だかりが出来るのも日常の出来事でした。)
要するに、それまで私が日本で聴いてきた音楽や、音色とは全然違う、
ファンタジー、ポエジーの世界でした。
パリで、精一杯吸収してきたつもりです。
先生の音色がますます魅力的になっていくのを聴いて、また
刺激を受けた一日でした。